社説 1975.10.15
あの日の夕方から30年が経ちました。
広島人にとりこの100年では恐らく昭和20年8月6日についで重要な一日でありましょう日がやはりあの日から丁度30年経たこの日でした。ということで本紙イエスポもこのことには社説扱いで触れさせていただきます。
まずは広島カープの皆さん一年間とりあえずはお疲れ様でした。
野村選手に山本監督もご苦労様でした。本塁打王と最多勝がいながらこの成績。。などとは申すまい。本日のライバル紙C新聞も本紙同様30年の回顧記事ですね(つーかウチC新聞の無断転載じゃないか!?)いつみてもいいですね古葉監督の胴上げシーンに浩二の号泣シーン。子供ながら泣けてきましたことを想い出します。先日の野村選手のお別れの挨拶にも泣けてきましたね。C新聞にも当日の実況を故金山次郎さんとされた元RCCの上野アナの回想(3/10号参照)なんかが載ってますがオーナーの坊ちゃんのコメントがふるってますね。アメリカに留学中でしたじゃと。こんなエピソードなら載せないほうがよいと思うんですがこの人らしいですね。(この状況でかえってこんか?)
このオーナー氏、C新聞の経済欄にも登場し(本紙は100%C新聞の受け売りです)身売りを否定とのこと。なんで?やる気のある人に預けたほうがよかない?飽きたらまた譲ってもらえばいいんだし売れるとき売っとかにゃ。だって初優勝のときに就寝中だったかもしれない人には情熱ないでしょに?しかし凄かったあの年のオールスター以降は。連日満員は甲子園や福岡ドームもそうだけどあんな統制のとれた応援所詮は予定調和、レジャー、なぐさみもんですよ。しまいめにはなんか戦後の被爆地が抱えてきた「情念」のようなパワーを感じるような日々でしたね。
1975・10・15 この夜、父帰らず。
広島人にとりこの100年では恐らく昭和20年8月6日についで重要な一日でありましょう日がやはりあの日から丁度30年経たこの日でした。ということで本紙イエスポもこのことには社説扱いで触れさせていただきます。
まずは広島カープの皆さん一年間とりあえずはお疲れ様でした。
野村選手に山本監督もご苦労様でした。本塁打王と最多勝がいながらこの成績。。などとは申すまい。本日のライバル紙C新聞も本紙同様30年の回顧記事ですね(つーかウチC新聞の無断転載じゃないか!?)いつみてもいいですね古葉監督の胴上げシーンに浩二の号泣シーン。子供ながら泣けてきましたことを想い出します。先日の野村選手のお別れの挨拶にも泣けてきましたね。C新聞にも当日の実況を故金山次郎さんとされた元RCCの上野アナの回想(3/10号参照)なんかが載ってますがオーナーの坊ちゃんのコメントがふるってますね。アメリカに留学中でしたじゃと。こんなエピソードなら載せないほうがよいと思うんですがこの人らしいですね。(この状況でかえってこんか?)
このオーナー氏、C新聞の経済欄にも登場し(本紙は100%C新聞の受け売りです)身売りを否定とのこと。なんで?やる気のある人に預けたほうがよかない?飽きたらまた譲ってもらえばいいんだし売れるとき売っとかにゃ。だって初優勝のときに就寝中だったかもしれない人には情熱ないでしょに?しかし凄かったあの年のオールスター以降は。連日満員は甲子園や福岡ドームもそうだけどあんな統制のとれた応援所詮は予定調和、レジャー、なぐさみもんですよ。しまいめにはなんか戦後の被爆地が抱えてきた「情念」のようなパワーを感じるような日々でしたね。
1975・10・15 この夜、父帰らず。
by qprqpr
| 2005-10-15 22:04
| イエイ・スポーツ(イエスポ)
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