連ブロ小説I’LL follow the SUN.第6話
ここで家井の私見ではあるが、前述のこの日本公演の一部始終をまとめた「話の特集」詩、ビートルズレポートで結論づけられた警察側の「70年安保闘争」に向けた「予行演習」あったという説はそろそろ再考時期と感じた。と言うのも「軟弱な長髪グルーピー」たちを制圧するのに35000人もの警官は不要であろうことは当局も織り込み済みであったとおもう。相手は火炎瓶などもった活動家や過激派などではなく、多くは10代の若者であること。ビートルズとはいえ当時既に珍しいものではなくなっていた外タレ公演などに機動隊はどう考えても大袈裟がすぎるというものだ。家井の考えは国内外に『国家権力、警察力を世界に見せしめる絶好の機会=見本市=ビートルズ日本公演』であったのではないか。ということである。翻れば、それだけ戦後ベビーブーマーたち、すなわち「団塊の世代」パワーをひしひしと体制側(大人=戦争体験者)が感じ取る兆候がみられていた。ということであろう。その不安が数年後、彼らが20代に突入しそれが学生運動という形で具現化するわけだが。
話が堅くなった。舞台を昼過ぎのヒルトンホテルに戻そう。29日昼前後、三々五々起きだしてきたビートルはおのおのルームサービスにありついていた。ここで家井の長年の疑問がひとつ解ける。広大なプレジデンシャル・スイートではあるがベッドはツインが両サイドにあって意外と狭いのだ。そこで4人が仲良く2手に分かれて枕を並べて睡眠をとる(あるいは刹那的なお相手との「遊戯」に耽ることもあったであろう)ことは永く信じられなかったのであるがようやくその謎が氷解したのであった。
実は同じフロアにエプスタインと懐刀のT・バーローが別のスイートを用意されていたのである。もともと気ままなビートルのことだから1005号室とマネージャー達のスイートと行き来しながら悶悶と時差ボケとたたかっていたのである。まあ、こんなこと他人からしたらどーでもよいことであろうが、ビートルズのせいで透明人間になってしまった家井にとってすべてが驚愕の事実であった。